前回は学校の西側の東恋ヶ窪地域を探検しましたが、今回は学校の東側の本多地域を探検しました。
住宅地の中に栗畑🌰が広がっていました。
鳥居⛩と参道です。
本多八幡神社は、本田新田が開発された享保19(1734)年に石清水八幡宮を勧請して、本多新田の鎮守として創建したそうです。
江戸時代後期から明治時代にかけて、米俵や酒樽・大石などを持ち上げて「力持」を競う会が神社の境内などで盛んに開かれていたそうです。
学校の東側にある西武多摩湖線を跨ぐ歩道橋を渡り、本多地域に入りました。
栗の木の葉は深緑色をしており、葉と比較するとイガは萌黄色をしていて、細くとげとげしているわりには毬藻のように柔らかそうでした。
北に向けて進むと、屋外にあるフットサルコートを見学しました。コートは建物の屋上にあるため、見ることはできませんでした。
最後は本多八幡神社を見学しました。
木陰がたくさんあり、子供たちはしばし涼をとることができました。
鳥居⛩と参道です。
本多八幡神社は、本田新田が開発された享保19(1734)年に石清水八幡宮を勧請して、本多新田の鎮守として創建したそうです。
江戸時代後期から明治時代にかけて、米俵や酒樽・大石などを持ち上げて「力持」を競う会が神社の境内などで盛んに開かれていたそうです。